歴史紀行第19回~古市 バレーボール伝 その①
長らく戦国時代を語ってきましたが、今回は昭和のお話。2回目の東京オリンピックはコロナ下、1年延期の末、無観客で何とか開催されました。さてスポーツ王国広島で野球、サッカーと並んで盛んなのがバレーボール。その日本のルーツとも言うべき所が共立病院近くの古市小学校なのをご存知ですか? 昭和初期、古市地域は畑作農業が中心で、中でも麻の栽培が盛ん。近くを流れる古川で麻の繊維を取ったり製糸する作業等「麻産業」の地でした。母親たちは毎日遅くまで働き家を留守にするので、放課後子供たちだけでたむろし買い食いしたり、中には万引きしたりする素行の悪い子も出たとか。そこで昭和4年、古市小学校の前身「嚶鳴(おうめい)小学校」教師だった頼(より)実(ざね)先生は、子供たちが放課後遊ぶ代わりに簡単に出来る球技としてバレーボールをやらせてみたところ、子供らは忽ちこれに熱中するようになり悪い事をする子がいなくなったとのこと。瞬く間に近隣の学校にも広まり、その発表の場として昭和8年に始まった「安佐郡排球大会」は現在は「広島市少年少女バレーボール大会」として春と秋の年2回、古市小学校で85年以上の歴史を持つ全国でも草分け的な大会として今も開催されています。出場も数十校約100チームと大きく発展。かく言う筆者の私もこの大会で白球を追いかけたひとりです。「いつでも、どこでも、狭い所で何人でも、ボール一つで費用をかけずに気軽に出来る球技」だったことが広く普及した要因でしょうか。「バレーボールに親しみ明るい社会づくりの一員となって欲しい」との願いで始まったこれらの歴史は、古市小学校正門横の「伝統顕彰の碑」として今に語り伝えられています。 (つづく)
(郷土作家 つかさまこと)