歴史紀行 連載第5回~銀山落城、戸坂千足伝説!
猛威をふるう新型コロナ、緊急事態宣言での外出自粛要請の中、しばし悠久の歴史の中へ、、、(‘_’)
要害堅固で鳴った銀山城(武田山)も天文10年(1541年)、ついに落城の時を迎えます。前年、
武田光和が亡くなった後、跡目をめぐって家中が紛糾。鎌倉時代からの有力な臣下であった熊谷氏(可部三入)
や香川氏(八木)らも毛利方に寝返り、最後には累代の家臣数百人が城に立て籠もりました。しかしそこは
一騎当千、剛勇揃いの武田家臣軍団。城を枕に討ち死ぬ覚悟で難攻不落の城に立て籠もるのですから容易には
落とせません。そこで、希代の策略家、毛利元就は一計を案じます。まともに正面から攻めたのでは攻略でき
ないと、近隣の村人たちから千足の草鞋を集め、これを油に浸して火をつけ、八木の辺りから夜の太田川に流
したのです。煌々と火のついた大量の草鞋は戸坂の今の安芸大橋辺りにあった渡船場付近で大きく渦を巻き、
これを山上の銀山城から見ると毛利の大軍が集結し正面から攻めて来るように見えました。武田方は山の南の
祇園側に全軍を集め防御を固めていたところ、背後の沼田側から奇襲を受け不意を突かれて遂に300年続い
た城も落ちたと言います。この時、万一の時には鐘を鳴らして知らせることになっていた安の正伝寺にも毛利方
が手を回し、これをさせなかったとも…。毛利軍の草鞋伝説は、武田山落城秘話として「戸坂千足」の地名と
ともに今に語り伝えられているのです。( つづく )