歴史紀行第8回 ~阿武山の大蛇退治伝説!!
前回紹介した戦国時代の八木城主、香川光景の頃のこと…言い伝えによると天文元年(1532年)頃、
当時の阿武山には象をも飲み込むほどの大蛇が出て、八木近隣の人々を脅かしていたとか。恐がって
これに近づく者も無かった所、一族の中で最も若く、勇猛果敢な香川勝雄が我こそはと名乗り出ました。
香川勝雄、この年弱冠18歳、古文書によると「背丈は6尺8分(180cm超)の大男で骨太髭づらで
色黒く15人力の怪力で、さながら仁王像のようであった」と言います。成敗に行った阿武山中腹で、
襲いかかってきた大蛇の首を勝雄がエイッとばかりに二太刀で叩き切って落とすと首は辺りに飛び散り、
落ちた所は夥しい血で赤く染まって池となったと。これを「蛇王池(じゃおういけ)」、首が落ちた辺を
「蛇落地(じゃらくち)」と言い今も大蛇の霊を鎮める石碑が建てられています。
ところが後日談が・・・2014年8月、この地を襲った豪雨土石流災害の後、最近テレビでも有名な
歴史学者の磯田道史氏が当時の古文書を調べてみると数百年前にもこの地で大規模土石流が起こっている
らしく、石碑の辺りを今は「上楽地(じょうらくち)」と言いますが、これはもとは「蛇落地(じゃらくち)」
であったろうと。「蛇落(じゃおち)」とは古来土砂災害のことで、昔の人は後世に危険を伝えるために
地名に意味を込めたそうで、「蛇落地(じゃらくち)」⇒「浄楽地(じょうらくち)」⇒「上楽地(じょうらくち)」
と数百年の間に不吉な地名から希望を感じる地名に変わった可能性が大きいと指摘します。
阿武山を見上げると中腹の山肌に今もくっきりと残る5年前の爪跡はまさしく大蛇の滑落した跡のよう…
香川勝雄の大蛇退治伝説は実は500年前の大土砂災害を伝える民間伝承で、ひょっとすると豪雨大土石流の中で、
村人たちを守るため果敢にこれに立ち向かった青年の姿だったのかも知れません。 (つづく)