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歴史紀行 第13回 ~安国寺恵瓊(あんこくじえけい)と牛田不動院

 昨年の大河ドラマは史上初、「謀反人」の悪名高い明智光秀が主人公でした。
準主役だった有名女優の薬物疑惑騒動でも大きな話題となりました。 明智光秀と
言えば織田信長。天下統一を目前にした天正10年(1582年)6月2日早暁、京都
本能寺で信長を討ったことを知らぬ人は無いでしょう。さて、ここで一人の安芸国(広島)
出身者が歴史の歯車に大きく巻き込まれていきます。その名も「安国寺恵瓊(えけい)」、
安芸武田氏が滅んだ天文10年(1541年)、武田山の銀山城落城の際、自刃した武田信重
(武田光和の妹の子)の4歳の子 竹若丸が太田川対岸の牛田不動院に預けられますが、これ
こそが恵瓊だったのです。幼少時から才気煥発で、その後京都に上って修行を積み、禅宗の
最高位に。武家の出自の血がそうさせたのか、その活動範囲は宗教にとどまらず毛利家の
外交僧として、信長、秀吉などとも互角に渡り合い、本能寺の変の時には備中(岡山)高松城を
水攻めにしていた秀吉と毛利家の間で和議交渉に重要な役割を果たします。秀吉に気に入られ、
その後は豊臣方の重鎮となり、秀吉没後、慶長5年の関ヶ原の戦いでは石田三成らの西軍に
ついたことで敗戦後捕縛され、京都六条河原で刑場の露と消えました。享年62歳。
 本能寺の変の10年も前に、「信長は3、5年の内に高ころびにあおのけに転ぶ。藤吉郎は
さりとてはの者である」と信長の滅亡と秀吉の台頭を予言したとする話はあまりにも有名です。
そんなことを思い浮かべながら見る大河ドラマもまた一興ではないでしょうか、、、、 
                         (つづく)
                      郷土作家 つかさまこと